幼児期のお子さんの親御さんに最後に言いたいこと | 普通の子がこつこつ頑張る中学受験

幼児期のお子さんがいる親御さんに伝えたいこと

一番大切な時期

私は今でも、幼児期が子供にとって一番大切な時期だと信じています。

この時期に良い習慣をつけられるかどうかで、この先の生活が変わってくる可能性は高いと感じています。

実際ペリー就学前プロジェクトでもアベセダリアンプロジェクトでも、幼児期の子供の教育が大切だという結果が出ています。

捻じ曲げられる真実

私がブログを始めたのは幼児期の終わりで、入学の少し前だったと思います。

私自身も、息子の幼児期の育て方は、ものすごく悩みました。

なぜなら息子の乳幼児期頃は、非認知能力が大切で、それは遊びの中で育つという記事が非常に多かったからです。

ただ、実際その話と元となっているのは、ペリー就学前プロジェクトでもアベセダリアンプロジェクトであることが多く、そうでないものは統計や実験結果などの根拠はないものばかりでした。

そもそもペリー就学前プロジェクトでもアベセダリアンプロジェクトは、幼児教育をしたグループとしなかったグループで差が出たという話であり、好きに遊ばせても非認知能力が育つなら教育されなかったグループのほうが良い結果になったはずです。

だけど実際は、教育を受けたグループほど良い結果が出ました。

非認知能力については、「非認知能力の誤解」や「非認知能力の真実(個人的見解)」や「非認知能力が遊べば育つと言われる理由」でも、個人的な見解を詳しく書いています。

もし興味があればお読みいただけると幸いです。

自由に育てられた子供

あくまで私が身近で見た子供達や、ネットで見た子供達ですが、小学3年生になった今、問題をおこしてたり、成績が低迷しているのは、やはり幼い頃に自由に好きなことだけして、育てられた子が多いと感じています。

特に私の世代は自由に育てたほうが非認知能力が育つと言われていたので、それを信じて、幼児期の教育や躾けもあまりせず、おおらかに育てられた子も多いと感じています。

そして、そういう子供達の中には、今になって成績が悪くなり、親があせって塾に入れたり勉強を強いた結果、勉強嫌いになりストレスがたまって荒れてしまう子もいます。

逆に幼い頃から当たり前に勉強して、当たり前に幼児期や低学年から塾や習い事に行ってた子は、あくまで個人の印象ですが、穏やかに、優しく育っているケースが多いと感じています。

息子の塾友も優しい子ですが、毎日塾や学習系の習い事で大変でも、自分がやりたいからやっているという気持が強いようで、ストレスはたまっていないようです。

教育方針は早めにかためる

スポーツも勉強もできないとダメだと、幼い頃はスポーツを全力で頑張らせ、少し大きくなったら勉強しろと強要される子は、やはりストレスがたまりやすく、どこかで爆発しやすい気がしています。

親がスポーツを頑張らせたくて、本人もそれをやりたいと言ってるなら、それは良いと思います。

ただ、それなら中学受験は諦めたり、できる範囲で頑張らせて、スポーツを最後まで頑張らせてあげて欲しいです。

二兎を追う者は一兎をも得ずということわざのとおり、優秀な子以外は、スポーツも勉強もどちらもできるという子は少ないです。

そもそも中学受験をするなら、時間が足りず、結局、高学年でスポーツをやめさせることになる可能性が高いです。

だから、特に団体スポーツは、始める前に親もある程度の覚悟をもってほしいと思います。

仲間や友達と一緒にがんばってきたことを、親の判断で途中でやめさせられるのは辛い子もいます。

息子

私は息子に2歳頃から徐々に幼児教育をはじめて、年少の頃には七田式のプリントを毎日やる日課をつけていました。

それとは別に計算は毎日教えて、卒園までに6年生までの簡単な計算方法は覚えさせました。

漢字も3年ほど先取学習し、文章読解の問題も少し先取りでやらせていました。

だからといって御三家に受かるほど、かしこくなることはありえないと思っています。

ただ、手先が不器用でも、苦手なことがあっても、今前向きに息子が学校に通えているのは、勉強が息子の中で自信となり、息子の心を支えていてくれているからではないかと感じています。

発達グレーで、HSCやDCDの可能性もある息子が、毎日学校に楽しく通えているのは、やはり勉強を先取りしていたおかげだと思っています。

これで勉強まで遅れてついていけず、宿題にも時間がかかっていたら、学校が嫌いになっていた可能性が高いと思います。

さらに小さい頃からゲームや動画を長時間やっていた子は、その時間をとれないこともストレスになるのでしょうか?

だから、小さい頃は遊びの中から学ぶという甘言に騙されず、きちんと入学準備をして欲しいと私は思います。

もし、この文章を読んでたった1人でも、気持ちが動いてくださる方がいたのなら、それだけでも、このブログをやっていた意味はあるのかなと思っています。

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