偏見
前にも「子供という枠にはめたがる大人達」で書きましたが、日本には子供に子供らしさを求める大人は結構多いと感じます。
でも、子供らしさって何なんでしょうか。
たまに、きちんと座っていられる子や、指示を守れる子を子供らしさがなくなているという方もいますが、それって勝手な偏見だと感じます。
子供だって、訓練すれば、一定時間ならきちんと座って支持を守れる子は多くいると思います。
幼少期の習慣
詳しい内容は忘れてしまったのですが、昔読んだ本には、小さい頃は子供を甘やかすのに、少し大きくなると厳しく育てようとする親が、日本には多いと書かれていたと思います。
これは、私自身も肌で感じています。
幼児期までは子供らしく好き勝手にふるまうほうが子供らしいと言われるのに、小学校入学後に自由に行動すれば発達障害と言われて支援級を勧められたり、高学年ならきつく叱られます。
だけど小学校に入る前に、子供らしさを大切にして、そういう悪い習慣をつけてしまったのは、親なのではないでしょうか。
そして、それを子供の特性のせいにして、子供に怒りの鉾先を向ける親もいます。
だけど、それは勝手だと感じます。
三つ子の魂百までや、雀百まで踊り忘れずという言葉が古くからあるように、幼い頃の習慣は大切です。
その時期に良い習慣を付けず、ルールを教えず好き勝手にさせて、小学校入学後や高学年になったら急に変われというのは無茶だと思います。
洗脳
親は意図的でなくても無意識に子供を洗脳していることはよくあると思います。
「自分でも気付かない育児の影響」にも書きましたが、息子は人を褒めるのが上手です。
それは息子の生まれつきの特性だと思っていました。
ただ最近思い出したのですが、幼稚園時代に息子から「〇〇ちゃんは、もう□□できるんだよ」という話を聞いた際には、「〇〇ちゃんに□□できてすごいねって言ってあげたら、きっと喜ぶよ」と息子に言っていたことを思い出しました。
あまり意識せずに言っていたので忘れていましたが、息子がよく友達や私のことを褒めるのは、私が日頃からそういう話をしていた影響も多少はあると思います。
子供は親の会話を聞いてる
親が意識して言っていようが、無意識に言ってようが、子供は親の言葉を聞いています。
例えば親が子供の友達について「〇〇ちゃんは勉強頑張ってて、すごいね」と言うのと、「〇〇ちゃんは勉強ばかりさせられて、かわいそうね」と言うのでは、子供の中の勉強に対する意識も変わってきます。
他にも「〇〇ちゃんは、親の言うことばかり聞いてるから将来、指示待ち人間になっちゃうかもね」なんて話してるいるのを聞かれていれば、「親や先生の指示を守るよりも、自分の思うように好きに行動したほうが良い」という意識が子供の中に育つのではないでしょうか?
努力
息子を見ていると、私や夫の幼い頃よりも何倍も、自ら勉強を頑張っていると感じます。
また、勉強以外の習い事も常に真剣に意欲的に取り組んでいます。
これは少なからず、結果より息子の努力を褒め、勉強や頑張ることの大切さを教えてきた影響もあるのではないかと感じています。
半分は親の帰任
子供は子供らしくあるべきだし、子供は自由なほうが良いというなら、そのまま子供がルールを守れない子に育った時に親は、その責任を子供のせいにすべきではないないと思います。
「アメリカは日本よりも厳しい親が多い」でも書きましたが、アメリカのほうが日本よりも幼い子供に対する躾は厳しいようです。
だから「お子さんを走らせないでください」というようなアナウンスが流れることはないそうです。
それは親が幼い子供に対してきちんとルールを守れるように、責任をもって厳しく教えるからです。
幼い頃だけ子供らしさを大切にして、ふざけても笑って許していたのに、少しく大きくなったら真面目にしろとか、将来のことを考えろとか真逆のことを言われれば、とまどう子供は多いでしょう。
だから、幼い頃から、子供らしさよりも将来必要な能力について、少しずつ教えていくことのほうが大切だと思います。
子供らしさという言葉に甘んじて、きちんと社会のルールを教えなかったのだとしたら、その責任の半分は親にあると私は思います。