能ある鷹は爪を隠す
「能ある鷹は爪を隠す」は私が息子にはじめて教えたことわざです。
幼い子供は自分ができることを人に自慢したがります。
そのこと自体は、そこまで悪いことではないと思います。
誰だって人に認められたいという承認欲求は少なからず持ち合わせていますし、認められたいからこそ頑張ろうと思えることもあります。
特に幼い子供は、ほめられることが好きな子が多いです。
ただ私は勉強の出来や偏差値ばかりを重要視したり、勉強できない子を見下すような子にだけは、絶対になって欲しくないと考えています。
また息子は本物の天才ではなく、あくまで先取しているだけの普通の子なので、あまりそこに自分の価値を見出してほしくないと思っています。
勉強できることばかりを周りからほめられると、それが自分の価値だと思い込んでしまいやすいです。
勉強できることが自分の一番の価値だと思ってしまうと、後で本物の天才たちに抜かれていく時に辛くなってしまいます。
また周りにすごいと言われ続ければ、きっと息子は自分を勉強できる人間だと誤解してしまいます。
だから私は息子が幼い頃から「能ある鷹は爪を隠す」ということわざを教えて、「できる人は、自分から自慢しないんだよ」「あとでさりげなく、できるってわかるほうが、かっこいいよ」と教えてきました。
幼稚園での話題
息子は年長の頃に幼稚園で「ぼく公文で小数やってるんだよ」と、友達に言われたことがありました。
でも息子は、自分が小数や分数の計算をやっていることは話さなかったそうです。
幼稚園時代や低学年の頃は、勉強以外にも運動や音楽、絵や工作など友達とお互いのすごさを認めあえる話題がたくさんあります。
ただ中学受験する子の多い地域の小学校だと、どうしても高学年の子は偏差値や塾のクラスの話題が中心になりがちです。
そうなった時に、何か勉強以外にも、息子の中で自信を持てるものがあれば良いなと思っています。
ずば抜けた特技でなくてもいいから、協調性のあるところや、努力家なところなど、自分にはこういう良いところがあると、自信を持てる何かがあって欲しいです。
漢字は年長から解禁
息子は公文をやっていたので、年少の頃から簡単な漢字は書けました。
だけど幼稚園で書くのは禁止にしていました。
「友達が読めない字で書いて読んでもらえないより、読める字で書いて読んでもらえるほうがいいよね」と話していました。
ただ息子の通っていた幼稚園は教育熱心な家庭が多く、公文を習っている子供も多かったので、年長になると漢字を書く子や読める子が増えました。
仲の良い友達が書いたり読んだりしているのに、息子だけ禁止するのはおかしいと思い、そのタイミングで漢字は解禁しました。
そのあたりは周りの子との兼ね合いを見て、対応を決めていけば良いのかなと思います。