慣れ
息子が小学校に入学してから1年以上が経ちました。
最近、息子を見ていて感じるのが、良い意味でも悪い意味でも、人は時間が経つごとに、徐々に置かれた環境に慣れていくということです。
息子は幼稚園時代は穏やかな子に囲まれていましたが、小学校に入ってから暴力的な子や乱暴な子もいて、最初は、その環境にかなりとまどっていました。
例え自分が暴力をふるわれていなくても、友達同士が殴る蹴るの喧嘩をしていると、傷ついているようでした。
「HSC」でも書いたように、息子は幼稚園時代から少し繊細な部分がありました。
だから乱暴な子のいる小学校でうまくやっていけるのか、入学当初は不安を感じていました。
だけど徐々に小学校の環境にも慣れていき、最近は多少のことでは動じなくなりました。
喧嘩の対応
少し前に、息子の様子を遠目で見る機会がありました。
私がいることは、息子も他の子も気付いていませんでした。
子供達は横一列に並んで待機していたのですが、息子の右隣にいる子が左隣にいる子を軽く叩き、左隣の子も応戦して叩き返していました。
息子は間に挟まれつつ、最初は左右の子に何か話しかけているようでした。
だけどお互い手を出すことをやめないので、最終的に息子は踏切りのように上下に手を上げたり下げたりして、お互いの子が手を出せないようにしていました。
結果的に、そのまま叩き合いは収まりました。
昔の息子なら、おろおろして泣きそうになっていたのではないかと思いますが、徐々に喧嘩の対応にも慣れてきたようです。
適応
小学校には色々な子がいるので、その環境が合わない子もいると思います。
だけど早々に、子供に合わないから通わせないと親が判断してしまうことで、子供が環境に適応する機会を失ってしまうこともあるのではないかと感じています。
ひどい暴力行為やいじめなどのトラブルについては、親から学校に相談したり、相手の子供や親と話したり、トラブルを解決するために親が介入することも必要だと思います。
ただ、子供に合ういごこちの良い環境を一生親が用意し続けることはできないので、どこかのタイミングで、子供が自分で適応できるような力を身につけることも必要だと思います。
近年、少しでも嫌なことがあるなら学校に行かなくても良いという風潮が強いと感じます。
ですが、そういった風潮が、子供が環境に適応する機会を奪ってしまっている側面もあるのではないかと感じています。