5歳児をいい子にすること | 普通の子がこつこつ頑張る中学受験

5歳児をいい子にすること

犬のしつけ

以前、5歳児を「いい子」にするのは犬のしつけと同じと書かれている記事を読んだことがあります。

その記事は「高学歴親という病」という本の著者である文教大学教授の成田奈緒子さんが質問に答えられるインタビュー形式の内容でした。

記事の内容としては幼児期は習い事よりも、睡眠時間を優先するべきといった大変共感できる部分もありました。

ただ、全体的に見ると疑問を感じる部分も多かったです。

特に5歳までは原始人を育てるように育てれば良いという考えには、全く賛同できませんでした。

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三つ子の魂百まで

日本は、幼児期は自由に子供が子供らしくふるまうことを求める人が多い割に、少し大きくなって子供が悪いことをすれば、それは親がきちんと躾けてこなかったからだと言われます。

私は、スシローで湯呑や商品に唾液をつける事件をおこした少年の幼少期を知ることはできません。

ただ私の勝手な妄想ですが、彼が在学していた高校を見る限り、教育熱心で厳格な両親のもとで、幼い頃から厳しく躾けられてきたとも思えません。

幼い頃は自由にのびのびと育てられ、多少イタズラをしても笑って許されてきた子供達は、大きくなったら自らを律して社会のルールやマナーを守れる人間になるのでしょうか。

優秀な子は別として、普通の子の場合は、幼い頃に育てられたように、その後も育っていくのではないでしょうか。

最近、三つ子の魂百までということわざは、案外正しいのではないかと感じています。

ちなみに日本だけではなく、海外にも同じような意味の言葉があるようです。

積み重ね

私は育児は積み重ねだと考えています。

下の土台がしっかりとしていないところには、何も築けないし、築いても崩れてしまうのではないでしょうか。

また最初に築いた土台と全く違うところに建物を建てることはできないし、無理に別の方向に建物を傾けようとすれば、建物は歪んで最終的には倒れてしまうこともあります。

ある時期を境に、親が今までと真逆のことを言い出せば、子供は当然とまどいますし、反発することも多いでしょう。

逆に幼少期から当たり前にやってきたことは、既に習慣化されているので、親に言われなくても自然にできる子が多いと思います。

5歳までは子供らしく自由に過ごし、小学校に入る年齢になれば、急に周りに合わせてお行儀よくしなさいと言われるのは、子供にとっての負担も大きいのではないでしょうか。

実際に、小学校入学後に周りや学校のルールに合わせることに子供が苦痛を感じた結果、不登校などの問題に発展しているケースもあると感じています。

親の期待に応える

記事にも書かれていましたが、幼い子供は親の期待に応えようとする面があります。

だけど子供がそう思うことを、マイナスにとらえすぎる必要はないと思います。

子供が良い行動をする最初の動機は「親に褒められたい」でも良いのではないでしょうか。

親は子供が良い行動をすれば褒め、悪い行動をすれば理由も話しながら、どうしてダメなのかを教えていく。

それを繰り返すうちに、最初は親が喜ぶからという理由で良い行動をしていた子供達も、徐々に社会のルールや善悪を学んでいきます。

幼い頃から周りに合わせたり、良い行動ができる習慣を身につけておけば、就学後の学校生活でも問題が出にくいと感じています。

だから、幼い子供が「いい子」であることを、過度に恐れる必要はないと思います。

偏り

成田さんのもとを訪ねられる親御さんは過干渉で、子供が小さい時はいい子だったと語られる人が多いそうです。

だけど、子供に異変があった際に、すぐに病院を受診したり、専門家に相談に行く時点で、もともと子供の教育に関心の高い親御さんなのではないでしょうか。

例えば放任主義の親御さんは、子供に多少の異変があっても、その異変に気付かなかったり、気づいても子供自身の問題だと放置される方が多いと思います。

だから成田さんのところに訪ねて来られる時点で、教育熱心で過干渉な家庭の中で問題が出てる子という偏ったサンプルになっている可能性も高いのではないでしょうか。

そう考えれば、問題が出ている子の親は教育熱心で過干渉な人が多いと成田さんが感じられるのは当然だと思います。

ただ実際に教育熱心で過干渉な家庭の子供ほど問題が出ているのかどうかは、通院や相談していない家庭の子も含めて、きちんとした統計をとってみないとわかりません。

また人が過去を振り返る時には、思い出補正が入ることもあります。

例え小さい頃はいい子だったと親が言っていたとしても、当時の様子を周りの人間が客観的に見ることができない以上、その子が本当にいい子だったかどうかは、わからないと感じます。

不登校の専門家が過干渉のせいにする理由」にも書きましたが、成田さんに限らず専門家といわれる人達は、自分が見てきた家庭を中心に語られることが多いです。

また「非認知能力の誤解」でも書いたように、例えデータがあったとしても、そのデータの見方は書き手によって180度変わります。

もちろんこのブログも例外ではありません。

だから、どんな情報でも、親が一度立ち止まって本質を考えてみることが重要だと感じています。

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