息子が私の顔色をうかがう時 | 普通の子がこつこつ頑張る中学受験

息子が私の顔色をうかがう時

親の顔色をうかがう

親の顔色をうかがう子」でも書きましたが、幼い子供が親の顔色をうかがうことを、私はそれほど悪いことだとは思っていません。

息子も小さい頃は自分で判断がつかないことが多く、自分の行動が合っているかを確認する意味でも、私のほうをチラッと見ることはよくありました。

ですが現在小学1年生の息子は、幼児期よりも私のほうを見て確認することは各段に減りました。

授業参観などでも不安からこちらを見るようなことはなく、手をあげて堂々と発言しています。

それは成長と共に、自分で正しい答えを選べるという自信がついてきたからだと思います。

ただ、今でもたまに私の顔色をうかがう時はあります。

息子が私の顔色をうかがう時は大抵決まっています。

コロナの影響

息子は幼稚園の年少の終わりから現在までコロナ禍の中で過ごしてきました。

コロナに対する人の考えは本当に様々で、真意を読み取るのは難しいと感じます。

私もブログでは自分の意見を書いていますが、かなりデリケートな話題なので、現実の世界ではかなり気を使いながら、なるべく自分からその話題にはふれないようにしています。

お出かけや旅行の話題についても、毎回相手のコロナに対する考え方を読み取りながら対応を変えていました。

ですが、それは幼い子供にとっては、とても難易度が高いです。

おでかけ

我が家は最初の緊急事態宣言の頃までは、家からほとんど出ないような自粛生活をおくっていました。

その頃は私の中にも、まだコロナウイルスを封じ込められるかもしれないという希望が少しありました。

ただ、その後、感染が再拡大し、ロックダウンしている他の国もウイルスの封じ込めに次々と失敗している様子を見て、日本のゆるい自粛でコロナを封じ込めて終息させることは不可能だと考えるようになりました。

また、その時点で長期化することは覚悟していました。

だから最初の緊急事態宣言が終了してからは、きちんと感染対策をした上で、家族のみでおでかけするようになりました。

だけど、それを快く思わない人は、当時まだ大勢いました。

そのため息子には、お出かけの話は、外では基本的にさせないようにしていました。

遠出の旅行

人々のコロナに対する考えは、月日が経つごとに、どんどん変化していきました。

最初は怖くて家から出られないと言っていた人達も、だんだんと外出するようになっていきました。

その頃になると、ずっと家で自粛しているような人は、少数派になっていました。

だから近場のおでかけに関しては、少しずつ周りの人にも話すようになりました。

それでも、遠出の旅行については、まだ正直に話せる雰囲気ではありませんでした。

当時の息子は、誰に何をどこまで話して良いのか混乱していたと思います。

自信がない

例えば「この前の休みは何をしていたの?」と聞かれると、息子は今でもチラッと私のほうを見ることがあります。

おでかけに関しては、幼稚園時代から何年も時期や相手に合わせて話す内容を変えていたので、どこまで話して良いのか今でも自信がないのだと思います。

そして私も、いまだに自信がないです。

過去には地方で感染が急拡大すると、観光客のせいで医療崩壊すると騒がれたこともあり、そうなると旅行することを良く思わない人も当然増えます。

感染者が少ない時期であれば旅行しても良いと考えている人達でも、感染が広がったり死者が増えると批判的になることもあります。

同じ人でも時期や状況により考えが変わることがあるので、コロナに対する考えは読み取りにくく、どこまで何の話をして良いのか悩みます。

人々の意識は以前とは変わってきていると感じるものの、既にマスク不要と言われている屋外でも、マスクをはずしている人は、たまにしか見かけません。

だから余計に本心が見えにくいと感じます。

5類になれば、こういった悩みからも解法されるのでしょうか。

同じ道を選ぶ

これまでの私の対応が正しかったのか間違っていたのかは、判断が難しいと感じています。

息子は周りの友達にも本当のことを話せず、窮屈に感じていたかもしれません。

ただ、もし過去に戻れたとしても、ずっとおでかけも旅行もせずに、何年も自粛生活をおくるという選択は息子のためにもしないと思います。

また正直に話せば、息子が仲間外れにされる可能性もあったので、やはり本当のことは話せなかったと思います。

最善の選択だったのかはわかりませんが、過去に戻っても私は同じ道を選ぶと思います。

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