リーダーシップの概念が変わった | 普通の子がこつこつ頑張る中学受験

リーダーシップの概念が変わった

リーダーを育てる

私は「リーダーになれる人間を育てます」というような教育理念をかかげる学校が今まで大嫌いでした。

だって、その学校で全員がリーダーなんてことはありえないし、リーダー気質の子もいれば、縁の下の力持ちタイプの子もいると思います。

親御さんの中には、みんなを引っ張るようなリーダーシップのとれる子を育てたいと思う人もいるかもしれませんが、私は息子が自分に合う役割を見つけて、それで幸せに暮らしてくれれば良いと思っています。

それがリーダー的な役割であったなら、それに不満はありませんが、未来のリーダーを育てるような教育理念には賛同できません。

だからやたらと、世界に羽ばたく人間とか、世界でリーダーになれる人間というようなスローガンを打ち出す学校は、どうも苦手でした。

ある学校

そんな、私もある学校の説明を聞いてリーダーシップ教育は決して悪いものではないと考えるようになりました。。

その学校の打ち出すリーダーシップ教育とは、決して他人の上にたつ1人を育てるのではなく、みんなが自分の好きなことや得意なことをを見つけて活躍しようというような考えでした。

何かが得意な人間もいれば、それが苦手な人間もいる。

だけど、そんな人間にだって、何かできることはある。

お互いのできない部分を補い協力しあって、何かを成し遂げる。

これは、私の思い描いていた1人がリーダーとして活躍するリーダーシップではなく、みんなが活躍する、共存の形の教育だと感じました。

成果をあげた子

前にも書きましたが、ある学校のパンフレットには、すごい成果を上げた子ばかりがとりあげられていました。

それを見て、できれば、こういう学校には息子を入れたくないなと感じました。

息子は当然、すごい成果をあげられるような人間ではないと思いますが、例え成果をあげられたとしても学校や先生からの特別扱いが日常にり、変な自尊心を植え付けられることは怖いと感じました。

もちろん、出来る子ばかりが賞賛されつづければ、普通の子や、できない子は劣等感を感じやすくなります。

だから、出来る子だけに注目するような学校よりも、例え上手くできない子でも、一緒に出来ることを探して、頑張ってくれる学校は素敵だと個人的には思います。

抵抗がなくなった

その学校のおかげで、毛嫌いしていたリーダーシップという言葉には抵抗はなくなりました。

ただ、やはり根本的な考え方として、できる子だけを優遇するようなリーダーシップ教育の学校には入れたくないと思いました。

縁の下の力持ちでもいいから、やれることを一生懸命やって、それを仲間に認めてもらえるような学校に、私は憧れます。

ですが、息子の偏差値の問題もあるので、入れるかどうかは、また別問題です。

あとは、息子がその学校を気に入ってくれるか、どうかも大切だと思っています。

ただ、私はその学校に心を持っていかれてしまいつつあります。

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