不登校の対処法が宗教に近いと感じる | 普通の子がこつこつ頑張る中学受験

不登校の対処法が宗教に近いと感じる

親の干渉

不登校の家庭をネット上で色々見てきて、一部の方の不登校に対する考えが宗教に近いと感じています。

不登校児の親御さんや一部の専門家と言われる人達は、親が干渉せずに子供が好きなことをしていれば、子供は自分でいつか動き出すとおっしゃいます。

ずっとそう言い続けて、少しずつ親が子供や学校に対する執着を捨てていき、子供に干渉しなくなった結果、子供達は昼夜逆転でゲームする生活が1年以上続いてる方もいます。

さらには万引きなどの問題行動まで出ている子もいます。

それでも、とにかく親が子供に干渉しなければいつか動けるようになると、ひたすら信じ続けている人達もいます。

執着を捨てる

不登校児の親に対して、学校に行かせたいという執着を捨てろとか、子供に干渉するなと言われている方は多いと感じます。

だけど親がほぼ干渉せず、子供に毎日好きなことをさせているのに、1年以上も状況が変わらないということは、今のやり方は子供に合っていない可能性も高いのではないでしょうか?

それでも子供が学校に行けないのは、まだ親が学校や子供に対する執着を捨てきれていないことが原因だとおっしゃる方もいます。

それは、宗教で「お金に執着しているからだ」とか、「信心が足りないからだ」と言われるケースと似ていると感じています。

大金を寄付し、毎日祈っても状況はひどくなるばかりなのに、まだお金に執着しているからだとか、信心が足りないからだで片づけられてしまう。

毎日干渉せずに好きなことをさせても子供が学校に行けないのは、まだ子供に親が期待してるからだとか、学校に執着してるからだと言われて、片づけられてしまう。

これは、本当に正しいことなのでしょうか。

見守って学校に行けるようになった子

確かに、干渉せずに見守り続けるやり方で、学校に行けるようになった子も世の中にはいると思います。

そういう子の親は、自分のやり方が正しかったのだと、大勢に人に向けてアピールするのではないでしょうか。

逆に子供に干渉せず好きにさせ続けた結果、ずっと学校に行かないまま卒業し、引きこもりやニートになってしまった人達は、自分のやり方は間違っていたと大きく声をあげることはないと感じます。

同様に毎日泣く子を無理矢理引きずって連れていった結果、子供が学校に行くようになったとしても、後ろめたさから、その方法をアピールする人は少ないのではないでしょう。

結果的にネット上では、干渉せず見守るやり方が正しいかのように広まってしまっているだけで、実際にそのやり方が合わない子もいるのではないかと感じています。

普通の生活に戻るために

確かに心を病む状態まで追い詰められている時は、適度な休憩も必要だと思います。

でも心を病んでいるなら病院に通ったり、フリースクールなど別の場所に居場所を作ったり、少し元気が出たら保健室登校からはじめたり、とにかく完全に歩みを止めないことが大切な気がしています。

人は一度習慣化されたものには抗いづらいです。

その生活が楽な生活であればあるほど、普通の生活に戻ることを面倒に感じてしまうのではないでしょうか。

だから子供の好きなことだけやらせて親は干渉しないというやり方が正しいとは、どうしても思えずにいます。

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