幼児期のねばり強さ
幼児期から息子は、勉強でもパズルでも、ねばり強く自分で答えを導き出そう出そうという姿勢が強いと感じていました。
そして、頭の悪い私は、それを息子の特性だとは少しも疑わず、息子は問題に粘り強く向き合う力がある子だと好意的にとらえていました。
ですが、最近、これは発達障害に関連する、こだわりの一種ではないかと考えるようになってきました。
公文の先生
今の育児のセオリーでは、子供が夢中で何かをやっている時に、大人が横やりを入れたり、止めるのはよくないと言われています。
「公文をやめた4つの理由」にも書きましたが、私が公文をやめた理由のひとつは、3歳の息子が答えを思い出そうと必死に考えているのに、公文の先生に、わからなければすぐ親が答えを言うようにと指示されたことです。
しかも、その頃の息子が考えている時間なんて、せいぜい数十秒程度なのに、それすら待たずに親が答えを横から言うことが正しいとは思えませんでした。
ちなみに全ての問題に数十秒かかるわけではなく、ひらがなの拗音などの読み方を忘れてしまった時など、たまに思い出すの数十秒かかる程度でした。
今思えば生徒もそれなりにいて、忙しい教室だったので、先生も時間がなく、その数十秒をわずらわしく感じられていたのかもしれないと、勝手に邪推しています。
3歳の子が必死で考えながら勉強している途中に、大人が横から答えを言う行為が正しかったとは、今でも思えません。
ただ、息子が小3になった今、考える時間も長くなり、それが悩みのひとつとなってきているのも事実です。
時間を区切る
息子は個人でIQ検査はしていますが、今のところ学校生活に大きな問題はなく、正式な発達障害の診断は出ていません。
ですがIQの上下の差が40近くあり、平均すると130を超えているのでギフテッド2Eと言われる発達障害の可能性が高いと思っています。
ただイヤイヤ期の対応のおかげなのか、息子は癇癪をおこすこしたりすることは、ほとんどありません。
ですが、問題を解いたり考えるのを、途中でやめさせようとすると嫌がります。
無理矢理やめさせると、静かに涙をこぼして「解けたのに」とくやしがることもあります。
過去には、好きなだけ時間をかけて問題を解かせてたこともありました。
でも結果は、結局わからなかったり、間違っていることも多かったです。
特に初めて習う単元はできないことが多く、目を離すと、白紙のままで、どうしてよいかわからず手遊びしていることもあります。
だから、できないなら、できないなりに何度も教えて解くことを繰り返し、演習量を増やしたいです。
そのためには、ある程度考えてわからなければ、時間は区切ることも大切だと思います。
ですが、涙をながしながら「解けたのに」と言われると、親の心境としても、大変辛いものがあります。
それでも、すでに小3になった今は、心を鬼にして、ある程度時間を区切っていかなければいけないと思っています。
そうしないと最終的に睡眠時間すら削るはめになり、結局、息子を追い詰めてしまいそうです。
息子の特性や効率の良い勉強法が少しずつわかってきたからこそ、息子の要望に沿えなくても、将来的に負荷の少ない勉強の形を選びたいと思います。