誕生日ケーキ
以前インターネットで見かけた話ですが、幼い頃に誕生日ケーキを「もう食べなくて良い」と下げられたという記憶のある人が、昔のビデオを見返してみると、某キャラクターのケーキを見て「こんなの食べたくない」と癇癪をおこしたようです。
きっとお母さんは子供が喜ぶだろうと思いせっかく用意していた、子供の喜ぶであろうキャラクターのケーキを、大声で拒否されてショックだったのでしょう。
ただ、子供側には、お母さんに怒られて勝手にケーキを下げられたという記憶だけが残っており、母親のことをひどい毒親だと思っていたそうです。
大人になっても相手の気持ちを考えられない人はいます。
特に発達障害の中の一部の人はそういったことが苦手です。
ましてや子供の頃なら、尚更、お母さんが悲しむかを考える余裕なんてなかったでしょう。
今でも自分の気持ち優先で、なぜお母さんが悲しんでいるのかも怒っているのかも、わからない子は、それなりにいるともいます。
嫌な記憶
人は嫌な記憶ほど残りやすいと言います。
実際、私自身も、嫌な記憶や怖かった記憶のほうが鮮明に強く残っています。
逆に、よい記憶や優しくしてもらった記憶は、それが毎日でないと、子供側には残りにくいのかもしれません。
だけど、親としては余程できた子供以外、褒める時もあれば叱る時もありますし、毎日必ず優しく接することは、なかなか難しいでしょう。
また、毎日優しく接することだけが、正しいとも思えません。
近年、叱らない育児は流行り、叱らず軽く注意するだけですまされてきた子の中には、先生に軽く叱られるだけでも学校に行けなくなる子もいます。
逆に、何をしても叱られない分、何でも自分の好きにできないと癇癪をおこしたり他害する子もいます。
その子の中では、子供のことにした悪いことが、きちんとした失敗体験になっていなかったのでしょうか。
軽く注意するだけで、罰も与えず、きちんとできる子もいると思いますが、そういう子ばかりではないと思います。
そして大きくなってから育てなおすことは、小さい頃にきちんと叱って教えるより、難しいのだと思います。
毒親
本当は褒められたり、普段は優しくされることが多かったとしても、叱られた記憶しか残っていない人は自分の親を毒親といいます。
また、幼児期や低学年ぐらいまでの記憶は断片的にしか覚えていないことが多いでしょう。
だから、その断片的な記憶を思い出して、自分の親を毒親だと批判する人もいます。
だけど、もう一度胸に手をあてて、本当に毒親だったのかを考えてみたほうが良いと思います。
前にも書きましたが良薬は口に苦しという言葉があるように、一見毒のような味でも体に良いこともあります。
逆に麻薬のように、その時は良い気分でも体を蝕むものもあります。
最近、毒親や教育虐待という言葉が頻繁に使われ、それを恐れるあまり、子供にとって逆に良くない教育をしている人も増えてると感じます。
虐待や過剰な叱責は本当に良くないですが、周りや子供から毒親と言われるのを恐れて、子供を王様のように扱うと、大きくなった時に手に負えなくなることも多いので、きちんとメリハリはつけたほうが良いと思います。
そのためには、親は毒親と将来言われることを恐れていてはいけないと思います。
子供が自立できなくなることのほうが、将来子供に毒親と呼ばれるよりも、ずっと怖いことだということを、きちんと考えて欲しいです。