子供らしくない
近年の教育論は子供の個性や主体性を伸ばすことを重視しているものが多いと感じます。
また、日本は昔から幼少期は自由にのびのびと子供らしく過ごすべきだという風潮が強いと感じます。
幼い子供が必死で周りの空気を読もうとすると、子供らしくないとか、大人の顔色をうかがうのはよくないと批判されることすらあります。
だけど、ある程度大きくなると、今度は協調性のない子や空気の読めない子が批判されるようになります。
私はこういった教育論に、常々疑問を感じています。
科学実験ショー
少し前に、ある科学実験ショーに息子と参加しました。
ショーの中では出演者の方が「どうしたらいいのかなぁ?」と考える演技をされる場面が何度かありました。
その度に、隣にいた高学年ぐらいのお子さんが会場に響き渡るほどの大きな声で答えを言ってました。
出演者の方は内心困られていたと思いますが、聞こえないふりをしてショーを続けられていました。
親御さんは少し離れた席にいらっしゃったようですが、特に何も注意されていませんでした。
子育ての考え方は家庭ごとに違うと思いますが、私がもしその子の親なら、すぐに注意していたと思います。
息子には小さな頃からショーは静かに見るものだと言い聞かせてきました。
大きな声を出してもよいのは、客席に向かって出演者の人が何かを聞いてきた時だけだよと教えてました。
だから、今でも息子はその約束を守っています。
その子も、きちんと教えられていれば、ショーの最中に大きな声で答えを言ってしまうことはなかったのではないでしょうか。
幼児がショーの途中に大きな声で答えを言ってしまうのは、かわいらしいと思う方も多いと思います。
中には幼いのに積極的に参加していて、偉いと思う方もいるかもしれません。
だけど、もし中高生がショーの最中に答えを言ってしまったら、空気を読めとか周りに気を使えと思う方が多いのではないでしょうか。
世の中には、成長と共に自然と空気を読めるようになる子もいると思います。
だけど、もともと空気を読むのが苦手な特性のある子は、早くから練習して習慣化しておかないと、どんどん空気を読むのが難しくなるのではなでしょうか。
段差
私は子供から大人への段差はなるべく低いほうが良いと考えています。
ある時を境に急に変われと言われれば、誰でもしんどいし辛いと思います。
逆に幼児期から当たり前に教えられてきたルールは習慣化されて守りやすくなるのではないでしょうか。
だからこそ、幼い頃こそ厳しく育てるべきだと私は考えています。
幼い頃は自由にさせて、後で締め付けて辛い思いをさせるより、最初に厳しめに締め付けて、徐々に縄を緩めていくほうが子供の精神的な負担も軽くなると思います。
学習以外の面については、息子は普通よりもできない子だと思うので、この先うまく縄を緩めていける自信はありません。
だけど、途中から極端に厳しく締め付けるようなことのないように、普段からしっかりと締めつつ、なるべく良い行動を習慣化していけるように努力したいと思います。
自然と空気の読むことができない子には、根気よく、場面ごとの対応方法を教えていくしかないと感じています。