犠牲
中学受験に批判的な見方をする方の中には、貴重な小学校時代を犠牲にしてまで受験勉強をさせるべきではないとおっしゃる方もいます。
だけど、それを言い出したら高校受験は貴重な中学校時代を犠牲にしているし、大学受験は貴重な高校時代を犠牲にしていることになりませんか?
子供にとっては小学校時代も中学校時代も高校時代も貴重な時間だと思います。
そしていつが一番充実した時期になるかは、子供の感じ方や周りの環境により変わってくると思います。
ちなみに私が一番充実していたと感じるのは、小学校時代ではなく高校時代です。
結局、いつ受験するかの違いで、どこかの時期で受験勉強をする必要があります。
もし中学受験で大学付属中学に入れば、そのまま大学まで受験勉強に時間をとられることなく6年間を過ごすことができます。
本当に犠牲にしているのか?
小学生が一心不乱に受験勉強をしていると、楽しい小学生時代を犠牲にして、かわいそうにと言う人もいます。
だけど高校生が一心不乱に勉強していても、高校時代を犠牲にしてかわいそうだと言う人は、ほとんどいないのではないでしょうか。
小学生でも高校生でも目標に向かって努力しているのは同じだと思います。
子供にとって目標に向かい頑張ることは、何もせずにダラダラ過ごすよりも、充実した日々になることもあります。
例えば中学受験ではなく、スポーツや音楽だって、練習のために遊ぶのを我慢して取り組むことになります。
だけど、それは貴重な小学校時代を犠牲にしているのでしょうか?
むしろその時にしかできない貴重な体験を積んでいると言えるのではないでしょうか?
逆に毎日ダラダラと遊んで過ごすことも、貴重な小学校時代を犠牲にしていることになるのではないでしょうか?
中学受験しない小学生
受験しない小学生は、本当に充実した貴重な毎日を送っているのでしょうか。
二月の勝者には、中学受験しない子供達の日常が描かれている場面があります。
中学受験しない子供達はカードゲームや携帯型のゲーム機を公園に持ちより、それらを使って遊んでいます。
さかなクンのように夢中になれる分野を見つけて、それについて必死で調べたり考えているなら、充実した貴重な時間になるでしょう。
だけど周りに流されて、流行りのゲームをして毎日過ごすのが、本当に子供にとって貴重な時間なのでしょうか?
それが本当に心の底から、その子のやりたいことなのでしょうか?
小学生の子供はまだ幼く、自分が本当に好きなことや、本当にやりたいことが見つかっていない子も多いと思います。
だから周りに流されて、ダラダラと無駄に時間を使ってしまうことも多いです。
そういった子供達と比べれば、中学受験という目標に向かって努力することのほうが、子供は有意義な時間を過ごせる可能性が高いのではないでしょうか。
大人の勝手な価値観
そもそも「勉強=犠牲」というのは、大人の勝手な価値観だと思います。
世の中には、勉強が好きで楽しいという子もいます。
息子も、難しい問題が、やっと解けるようになった時は、とても嬉しそうにしています。
また、自分の好きな分野のプリントが出てきた時は喜びます。
勉強は決して辛くて苦しいだけのものではありません。
そう思ってしまう子は、勉強が理解できず、苦手意識が育ってしまっているからです。
子供時代、勉強が理解できず辛くて苦しくて、大嫌いだった大人は、子供も同じように勉強を嫌がってると考えてしまいがちです。
だけど物事の価値観は、人によって違いますし、周りの人間や、環境によっても変わってきたりします。
確かに計算や漢字など地道な反復が好きな子は少ないかもしれません。
でも反復した結果、問題が解けるようになったり、点数が上がった瞬間が好きな子は多いと思います。